昔はお粥だった!クリスマスケーキの歴史と日本独自の進化

当ページのリンクには広告が含まれています。
クリスマスケーキの歴史と意味

「クリスマスにはケーキを食べる」。

私たちにとって当たり前のこの習慣、実は人類の長い長い「祈り」と「サバイバル」の歴史が詰まっていることをご存知ですか?

ただ甘くて美味しいだけではありません。そのスポンジのひとくち、ドライフルーツの一粒には、古代ローマの奴隷たちの自由への渇望や、中世の人々が冬を生き抜くための切実な願いが込められているのです。

この記事では、クリスマスケーキに隠された驚きの歴史を、貴重な資料を紐解きながら徹底解説します。

この記事でわかること

  • 衝撃のルーツ: 最初はケーキではなく「お肉入りのドロドロのお粥」だった!
  • 消えた風習: かつては1月5日の夜に「豆」入りのケーキで王様を決めていた。
  • 材料の秘密: スパイスやドライフルーツには「キリスト教」と「経済」の深い意味がある。

今年のクリスマスは、ケーキの味わいがガラリと変わるはずです。それでは、時空を超えた甘い旅に出かけましょう!

目次

そもそも、なぜ冬に「リッチなケーキ」を食べるの?

そもそも、なぜ冬に「リッチなケーキ」を食べるの?

クリスマスケーキの起源を辿ると、キリスト教が生まれるもっと前、古代の「冬至(とうじ)」の習慣に行き着きます。

暗闇に勝つための「エネルギーの塊」

昔の人々にとって、冬は現代よりもずっと恐ろしい季節でした。太陽の力が弱まり、作物が採れなくなる冬は、まさに「死」の世界。

そこで人々は、太陽の力が再び強まり始める「冬至」を祝い、春の訪れ(再生)を祈るために、特別な食事を用意しました。

コトクマ

当時のご馳走は、今のデザートとは意味合いが違います。厳しい冬を生き延びるための「保存食」であり、神様に捧げるための高カロリーな「エネルギー源」だったのです。

これが、現代のクリスマスケーキの遠いご先祖様です。

【イギリス】衝撃の進化史!最初は「お肉入りのお粥」だった!?

【イギリス】衝撃の進化史!最初は「お肉入りのお粥」だった!?

「イギリスのクリスマスケーキ」と聞いて、どんなものを想像しますか?

実は、その歴史は私たちの想像を絶する「料理」からスタートしています。

1. 中世の始まりは「プラム・ポリッジ(Plum Porridge)」

中世のイギリスでクリスマスの時期に食べられていたのは、ケーキではありません。「プラム・ポリッジ(プラムのお粥)」と呼ばれる、シチューのような料理でした。

驚きのレシピ(当時の再現)

  • スープ: 牛肉や羊肉の脚を煮出した濃厚な出汁(ブロス)
  • とろみ: パン粉やオーツ麦
  • 具材: ドライフルーツ(プラム、レーズン)、スパイス、ワイン
  • 味付け: 少量の砂糖や蜂蜜

当時のカトリック教会では、クリスマスの前(アドベント)は断食をする決まりがありました。断食明けの弱った胃腸を慣らし、冷えた体を温めるために、この栄養満点のドロドロしたスープが食べられていたのです。

コトクマ

「プラム」といっても、生のスモモのことではありません。昔の英語では、レーズンなどのドライフルーツ全般を「プラム」と呼んでいたんです。つまり、「干し肉と干しぶどうの煮込み粥」といったイメージですね!1662年のサミュエル・ピープスの日記にも、これを食べた記録が残っています。

2. 「茹でる」から「焼く」へ:プディングとケーキの誕生

16世紀〜17世紀になると、道具の進化が料理を変えます。

  1. 布の発明: 「プディング・クロス」という布で具材を包み、お湯で茹でる調理法が登場。これでお粥が固形の「プラム・プディング」になりました。
  2. オーブンの普及: 富裕層の家に焼き窯(オーブン)が登場。さらにバターや卵、小麦粉が手に入りやすくなり、ついに「焼いたケーキ」へと進化します。

こうして、肉の要素が減り(牛脂だけが残りました)、よりお菓子に近い「リッチ・フルーツケーキ」へと変わっていったのです。

消された祝祭:「十二夜」とヴィクトリア女王の決断

消された祝祭:「十二夜」とヴィクトリア女王の決断

実は、昔のイギリス人がケーキを食べていたのは、クリスマスの当日(12月25日)ではありませんでした。

もっと重要な日があったのです。それが1月5日の夜、「十二夜(Twelfth Night)」です。

「豆の王様」を選ぶ大騒ぎの夜

クリスマスから数えて12日目の夜は、お祭り騒ぎのクライマックス。この日に食べる巨大な「トゥエルブス・ナイト・ケーキ」には、ある仕掛けがありました。

  • 隠しアイテム: 乾燥した「豆(Bean)」と「エンドウ豆(Pea)」
  • ルール: 切り分けられたケーキの中から「豆」を当てた男性は「豆の王様」、「エンドウ豆」を当てた女性は「王妃様」になれる!

豆の王様になった人は、その夜だけは主人も使用人も関係なく、誰にでも命令できる「無礼講の王」として振る舞うことが許されました。これは古代ローマの「サトゥルナリア祭(奴隷と主人が入れ替わる祭り)」の名残だと言われています。

なぜ12月25日に変わったの?

この楽しい「十二夜」の風習は、19世紀に2つの理由で消滅してしまいます。

  1. 産業革命の影響: 工場労働が始まると、「1月6日までずっと休み!」なんてことはできなくなりました。多くの人が12月26日から仕事に戻らなければならず、お祝いは25日に集中するようになりました。
  2. ヴィクトリア女王の鶴の一声: 1860年代、当時のヴィクトリア女王が、十二夜のどんちゃん騒ぎを「行儀が悪い」「キリスト教らしくない」として嫌い、公式に禁止してしまったのです(諸説あり)。

困ったのはお菓子屋さんです。「1月のケーキが売れなくなる!」

そこで彼らは、ケーキのレシピはそのままに、デコレーションを雪景色に変えて「クリスマスケーキ」という名前で売り出しました。これが、私たちが今知っているクリスマスケーキの始まりです。

コトクマ

ケーキの中に陶器の人形やコインを隠す遊び(フェーブ)は、今のフランスの「ガレット・デ・ロワ」や、イギリスの「クリスマス・プディング」の中にひっそりと受け継がれています。

材料の図像学:フルーツケーキに込められた「神学」と「経済」

材料の図像学:フルーツケーキに込められた「神学」と「経済」

イギリスの伝統的なフルーツケーキに使われる材料には、一つひとつ深い意味(メタファー)が隠されています。ただ混ぜているわけではありません。

1. 東方の三博士と「スパイス」

シナモン、クローブ、ナツメグなどのスパイス。これらは、キリスト誕生の時に東方からやってきた「三博士(マギ)」の贈り物を象徴しています。

大航海時代、スパイスは金と同じくらい高価でした。それをたっぷり使うことは、神様への敬意であると同時に、「うちはこんなに豊かだぞ!」という経済力の証明でもあったのです。

2. ドライフルーツは「保存された夏」

レーズンやオレンジピールは、夏の太陽を浴びた果実を、冬まで「保存」したものです。

ここには、「収穫への感謝」と、来たるべき年の「豊穣(ほうじょう)への祈り」が込められています。古代エジプトやメソポタミアの頃から、ドライフルーツは神への捧げ物でした。

3. アルコールと「フィーディング(Feeding)」の儀式

ここが一番驚くポイントかもしれません。本場のクリスマスケーキは、焼き上がってからが本番です。

  • フィーディング(餌やり): 焼き上がったケーキに、週に一度、ブランデーやウイスキーを塗り込んだり注いだりします。これを数週間から数ヶ月(!)続けます。

こうすることで、アルコールが防腐剤となってカビを防ぎ、ドライフルーツがふっくらと戻り、熟成された深い味わいになります。

ヴィクトリア女王は、贈られたケーキを一年間寝かせてから食べたという逸話もあるほど。「待つ時間(アドベント)」を楽しむことこそが、クリスマスの精神なのです。

世界のクリスマスケーキ図鑑:形に込められた「祈り」と「政治」

世界のクリスマスケーキ図鑑:形に込められた「祈り」と「政治」

イギリスの海を越えてヨーロッパ大陸に渡ると、また全く違う形のケーキが登場します。そこには、それぞれの国の「信仰」と、驚くような「歴史ドラマ」が隠されていました。

1. 【ドイツ】シュトーレン(Stollen)

意味:幼子イエスの「おくるみ」

ドイツのクリスマスに欠かせない、白くて細長いパン菓子「シュトーレン」。

この形、何かに似ていると思いませんか?

実はこれ、産着(おくるみ)に包まれた生まれたばかりのイエス・キリスト(幼子イエス)の姿を模していると言われています。だから、表面が真っ白な粉砂糖で厚く覆われているのです。

歴史を変えた「バター禁止令」と教皇への手紙

シュトーレンには、ある有名な政治ドラマがあります。

15世紀、教会はクリスマスの前(アドベント)の期間、信者に「断食」の一環としてバターや牛乳の摂取を禁止していました。そのため当時のシュトーレンは、小麦粉と水と油(カブの油など)で作られた、ボソボソして味気ないパンでした。

「もっと美味しいパンが食べたい!」

そう思ったドイツの貴族(ザクセン選帝侯)は、なんとローマ教皇に直訴。「バターを使わせてほしい」と手紙を送り続けました。

交渉は難航しましたが、1490年、ついに教皇インノケンティウス8世が「バター書簡(Butterbrief)」という許可証を発行。「教会に寄付金を払うならバターを使ってもよい」というお触れを出したのです。

これによって、シュトーレンは現在のようなバターたっぷりのリッチな味わいに進化しました。私たちの美味しいシュトーレンの裏には、貴族たちの食への執念があったのですね。

2. 【フランス】ブッシュ・ド・ノエル(Bûche de Noël)

意味:燃やせなくなった「暖炉の薪(まき)」

フランス語で「クリスマスの薪」を意味するこのケーキ。なぜ食べ物を「木」の形にするのでしょうか?

そのルーツは、キリスト教以前の古代の儀式「ユール・ログ(Yule Log)」にあります。

かつて北欧やケルトの人々は、冬至の時期に巨大な丸太を暖炉にくべ、数日間燃やし続けることで太陽の復活を祈りました。その灰は、厄除けのお守りにしたそうです。

しかし、19世紀後半になってパリの街が都会化すると、生活が一変します。アパート暮らしが増え、部屋の暖房が暖炉から「ストーブ」に変わったのです。

「家の中に大きな丸太を持ち込むなんて無理だし、燃やす場所もない!」

そこでパリの菓子職人たちが考え出したのが、「食べられる薪」でした。物理的に火を燃やす代わりに、ケーキで薪を再現し、食卓で伝統を守ろうとしたのです。

ブッシュ・ド・ノエルは、都会暮らしの知恵が生んだ発明品だったのです。

3. 【イタリア】パネトーネ(Panettone)

意味:失敗から生まれた?「トニのパン」

イタリア・ミラノ発祥の、ドーム型の背の高い発酵菓子です。「パネトーネ種」という特別な天然酵母を使い、ドライフルーツをたっぷり入れて焼き上げます。

名前の由来には、素敵な伝説があります。

「トニのパン」伝説

15世紀のミラノ公の宮廷でのこと。料理長がクリスマスのデザートを焦がしてしまい、大ピンチに!

その時、皿洗いの少年トニ(Toni)が名乗り出ました。

「僕が自分のおやつ用に取っておいたパン種に、ありあわせの砂糖やフルーツを混ぜて焼いたものがあります」

仕方なくそれを公爵に出したところ、なんと大絶賛!「これは何という菓子だ?」と聞かれた料理長は答えました。

「これはトニのパン(Pan del Toni)です」

これが訛って「パネトーネ」になったと言われています。(※諸説あります)

なぜ日本は「イチゴのショートケーキ」なの?

さて、いよいよ日本の話です。

これまで見てきたように、世界のクリスマスケーキは「茶色くて、ドライフルーツが入っていて、日持ちするもの」が主流です。

では、なぜ日本では「白い生クリームに赤いイチゴ」という、世界でも珍しいスタイルが定着したのでしょうか?

1. 不二家の創業者、藤井林右衛門の「翻訳」

この日本独自のスタイルを作った立役者は、不二家の創業者・藤井林右衛門(ふじい りんえもん)です。

1912年(大正元年)、お菓子の修行のためにアメリカへ渡った彼は、現地の「ショートケーキ」に出会います。

しかし、アメリカのショートケーキは、ビスケットのような硬い生地にクリームを挟んだものでした。「ショート(Short)」には「サクサクした」という意味があるのです。

「これは日本人の口には合わないかもしれない…」

そう考えた藤井は、大胆なアレンジを行います。ビスケットの代わりに、日本人が大好きな「ふんわりしたスポンジ生地(カステラの応用)」を採用したのです。

こうして、日本人の好みに合わせた、世界に一つだけの「柔らかいショートケーキ」が誕生しました。

2. 冷蔵庫が変えた!「憧れ」の民主化

戦後すぐの頃、ケーキはまだバタークリームが主流でした。生クリームは温度管理が難しく、家庭で食べるのは難しかったのです。

運命が変わったのは1950年代〜60年代。日本の家庭に「電気冷蔵庫」が普及しました。

これにより、冷やさないと溶けてしまう生クリームのケーキを、家庭で安全に保存できるようになりました。

「クリスマスに家族で白いケーキを囲む」。それは、豊かになった日本と、平和な家庭(マイホーム)の象徴となりました。

3. 「紅白」と「雪」の美学

日本のショートケーキのデザインには、日本独特の感性が詰まっています。

  • 紅白の縁起物: 白いクリームと赤いイチゴ。これは日本人が愛する「紅白」の祝賀カラーであり、日の丸のイメージとも重なります。
  • 雪景色: クリームは、ホワイトクリスマスの雪を表現しています。雪が降らない地域の人も、ケーキの上で冬を感じることができるのです。
  • 丸い形(ホールケーキ): 家族の「和(輪)」、円満を象徴しています。

本来、イチゴは春の果物です。クリスマスの時期に赤いイチゴを用意するために、日本の農家の人々は大変な努力をしてハウス栽培を確立させました。あの赤い実は、日本の技術と執念の結晶なのです。

比較:ヨーロッパの「時間」 vs 日本の「鮮度」

最後に、ヨーロッパと日本のケーキの決定的な違いを比べてみましょう。

スクロールできます
ヨーロッパ(シュトーレン等)日本(ショートケーキ)
キーワード蓄積・継続瞬間・鮮度
食べ方数週間かけて少しずつ食べるその日のうちに食べ切る
価値観時間をかけて熟成させる「重み」雪のように溶ける「はかなさ」

ヨーロッパのケーキが、冬を越すための「保存食」から発展したのに対し、日本のケーキは、その瞬間の喜びを味わう「祝祭(イベント)」として発展しました。どちらも違って、どちらも素敵です。

まとめ:今年のクリスマスは「物語」と一緒に

クリスマスケーキの歴史の旅、いかがでしたか?

  • 最初は生きるための「お粥」だったこと。
  • 王様を決める遊び道具だったこと。
  • 都会の事情で「薪」の形になったこと。
  • 日本の職人が、私たちのために「フワフワ」にしてくれたこと。

今年のクリスマス、ケーキを食べる時に、ふとこの話を思い出してみてください。

「このイチゴ、昔は春にしかなかったんだって」

「ドイツではこれを赤ちゃんのおくるみに見立てているんだよ」

そんな会話のスパイスがあれば、甘いケーキがもっと味わい深く、温かいものになるはずです。

聖なる夜に、おいしいケーキと素敵な物語を。メリークリスマス!

よくある質問(FAQ)

Q1. クリスマスケーキはいつ食べるのが正解ですか?

A. 特に決まりはありませんが、日本ではクリスマスイブ(12月24日)の夜に食べるのが一般的です。一方で、ドイツの「シュトーレン」のように、クリスマスの4週間前(アドベント)から少しずつ食べて当日を待つという楽しみ方をするケーキもあります。

Q2. ブッシュ・ド・ノエルはなぜ木の形をしているのですか?

A. 古代ヨーロッパの「冬至祭」で、太陽の復活を願って大きな丸太(ユール・ログ)を燃やしていた儀式に由来します。都会で暖炉が使えなくなった時代に、パリの菓子職人が「ケーキで薪を再現しよう」と考えたのが始まりと言われています。

Q3. 日本のクリスマスケーキはなぜショートケーキなのですか?

A. 不二家の創業者・藤井林右衛門が、アメリカの硬いショートケーキを日本人好みの柔らかいスポンジ生地に改良したのが始まりです。「紅白」の縁起の良さや、戦後の冷蔵庫普及による生クリームブームも重なり、日本独自の定番として定着しました。

Q4. クリスマスケーキの中に硬いものが入っていることがありますが?

A. フランスの「ガレット・デ・ロワ」やイギリスの「クリスマス・プディング」には、陶器の人形(フェーブ)やコイン、豆などが隠されていることがあります。これに当たった人は「その日の王様」になれるという幸運のゲームです。誤って飲み込まないよう注意して楽しみましょう。

Q5. 昔のクリスマスケーキはお粥だったって本当ですか?

A. 本当です。中世のイギリスでは、断食明けの胃を整えるために、肉の煮汁にドライフルーツやパン粉を入れた「プラム・ポリッジ」というお粥状の料理を食べていました。これが布で包んで茹でるプディングになり、やがて焼くケーキへと進化しました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次