お正月といえば、みなさんは何を思い浮かべますか?お年玉、初詣、そして色とりどりの「おせち料理」ではないでしょうか。
お重(おじゅう)にぎっしり詰まったおせち料理は、見ているだけでワクワクしますよね。
でも、ふとこんな疑問を持ったことはありませんか?
- 「おせち料理って、いつから食べられているんだろう?」
- 「黒豆や数の子、どうして入っているの?」
- 「昔と今で、中身は違うのかな?」
おせち料理には、実はとっても長くて深い歴史と、昔の人の大切な「願い」が込められています。
この記事では、編集者・ライターとして言葉や文化に長年触れてきた私が、おせち料理の歴史を中学生にもわかるように、ゼロからやさしく解説します。
- おせち料理がいつ、どのようにして始まったのか(歴史の流れ)
- おせち料理が「お正月」に食べられるようになった理由
- 昔と今のおせち料理の違いや、食材に込められた意味
この記事を読めば、今年のお正月は「なるほど!」と納得しながら、おせち料理をいつもより深く味わえるはずです。
おせち料理とは?基本のキをおさらい
まずは「おせち料理って、そもそも何?」という基本から、簡単におさらいしましょう。歴史を知るための大切な準備運動です。
「おせち」って、もともとどういう意味?
「おせち」という言葉は、もともと「御節供(おせちく)」という言葉が略されたものです。
「御節供」とは、季節の変わり目である「節(せつ)」(または節句)に、神様に収穫の感謝を伝えてお供えした食べ物のこと。
つまり、昔はお正月だけではなく、桃の節句(3月3日)や端午の節句(5月5日)など、季節の節目ごとにお供えする料理全般を「御節供」と呼んでいたのです。
なぜお正月に食べるの?
昔はたくさんの「節」がありましたが、その中でも「お正月」は一年で一番大切なお祝いの日でした。
江戸時代になると、この「節」の行事が庶民の間にも広まっていきます。そのうち、一番重要なお正月(人日の節句)に用意されるごちそうが、だんだんと「おせち料理」と呼ばれるようになりました。
(※詳しい流れは、次の「歴史」の章でたっぷり解説しますね!)
なぜ重箱(じゅうばこ)に詰めるの?
おせち料理が、あの立派な「重箱」に詰められているのにも理由があります。
それは、「めでたいこと(幸福)が、重なるように」という願いが込められているからです。
また、重箱に詰めておけば、お正月の間、お母さん(料理を作る人)が少し休むことができますし、お客様が来たときにもすぐにお出しできますよね。保存食としての知恵と、おもてなしの心が詰まっているのです。
コトクマ重箱に詰めるのは、縁起担ぎ(えんぎかつぎ)だけじゃなく、「お正月の三が日は火(カマド)の神様に休んでもらう」「料理を作る人も休めるように」という、実用的な知恵でもあったんですね。
おせち料理の歴史を5ステップで簡単解説!いつから始まった?
お待たせしました!ここからは、おせち料理がどのようにして今の形になったのか、その長い歴史を5つのステップに分けて探っていきましょう。
【ステップ1:弥生時代】すべての始まりは「節供(せちく)」
おせち料理のルーツは、今から2000年以上前の「弥生時代」にまでさかのぼると言われています。
この頃、中国から「暦(こよみ)」が伝わりました。人々は季節の変わり目である「節(せつ)」を知り、「今年も無事に収穫できますように」と神様に感謝してお供え物をする風習が生まれました。これが「節供(せちく)」です。
この時はまだ、お正月の料理というわけではなく、自然の恵みに感謝する素朴な儀式でした。
【ステップ2:平安時代】宮中行事「節会(せちえ)」のごちそうに
時代は進んで「平安時代」。
「節供」は、宮中(天皇や貴族の世界)の大切な行事である「節会(せちえ)」へと発展します。
「節会」は、季節の節目に神様と一緒にお祝いの食事(ごちそう)を食べる、今でいう宮殿での公式パーティーのようなものです。
この時に振る舞われた豪華な料理が、おせち料理の原型の一つとされています。とはいえ、まだまだ貴族だけのものでした。
【ステップ3:江戸時代】庶民に広まった「五節句」
「江戸時代」になると、宮中行事だった「節会」が「五節句(ごせっく)」として幕府の公式な行事(祝日)になります。
- 1月7日(人日)
- 3月3日(上巳)
- 5月5日(端午)
- 7月7日(七夕)
- 9月9日(重陽)
この五節句が庶民の間にも広まり、人々はそれぞれの節句にごちそうを用意して祝うようになりました。
この頃から、保存がきく煮物などが作られるようになり、だんだんと今のおせち料理に近い内容になっていったと言われています。
【ステップ4:明治~昭和】「お正月だけの料理」として定着
明治時代に入ると、「五節句」の習慣は少しずつ薄れていきます。
その中で、一年で最も大切なお祝いである「お正月」が特に重要視されるようになりました。
その結果、「おせち」といえば「お正月のごちそう」を指すようになったのです。
また、今のような「重箱スタイル」が定着したのも、この頃や江戸時代の終わり頃からと言われています。デパートなどが「おせち料理」として売り出し始めたことも影響しているようです。
【ステップ5:戦後~現代】ライフスタイルと技術で「多様化」するおせち
そして現代。おせち料理はさらに大きく変化しています。
昔は年末に各家庭で時間をかけて手作りするのが当たり前でしたが、戦後、特に高度経済成長期以降は、女性の社会進出やライフスタイルの変化で、デパートやスーパー、コンビニ、通販などで「買う」のが一般的になりました。
冷凍技術や配送網の発達も、この流れを後押ししました。
中身も、伝統的な和食だけでなく、洋風、中華風、キャラクターもの、一人用、アレルギー対応、健康志向のものまで、非常に「多様化」しています。



おせちの歴史は、日本の「食」と「暮らし」の歴史そのものなんですね。弥生時代のお供え物が、2000年以上かけて形を変え、今も私たちに受け継がれていると思うと、なんだか不思議な気持ちになります。
おせち料理の「昔」と「今」どう違う?比較表で見てみよう
ステップ5でも触れましたが、「昔」と「今」のおせち料理は、どう具体的に違うのでしょうか?その背景にある理由もあわせて見てみましょう。
昔ながらのおせち:保存食としての知恵
昔のおせちは、お正月の三が日に料理をしなくてもいいように、「保存がきくこと」が第一でした。
そのため、
- しっかり火を通す「煮物」
- 酢でしめる「酢の物」
- 砂糖をたくさん使って煮詰める「きんとん」や「佃煮」
といった、濃い味付けの料理が中心でした。これらはすべて、昔ながらの保存方法(知恵)ですね。
もちろん、すべて各家庭で手作りされていました。
今どきのおせち:手作り派?購入派?中身も大変化!
一方、今のおせちはどうでしょうか。
一番大きな違いは、「買う」という選択肢が当たり前になったことです。
おせち料理を「すべて手作りする」人は少数派で、多くの人が「一部手作りして、あとは買う」あるいは「すべて買う」という選択をしているようです。
中身も、伝統的なものに加えて、ローストビーフやテリーヌなどの「洋風」、エビチリや酢豚などの「中華風」も人気です。これは、冷蔵・冷凍技術が発達し、保存性をそこまで気にしなくてもよくなったことや、子どもから大人まで家族みんなが楽しめるように、好みが多様化したことが理由です。
【比較表】ひと目でわかる!昔と今のおせちの違い
| 比較ポイント | 昔(昭和中期ごろまで) | 今(平成~令和) |
| 作り方 | ほぼ100%家庭で手作り | 購入(全部または一部)が主流 |
| 中身 | 伝統的な和食(煮物、酢の物など) | 和食+洋風、中華風など多様化 |
| 味付け | 保存性を高めるため、濃いめ(甘い、しょっぱい) | 薄味、健康志向のものも増えた |
| 重視する点 | 保存性、縁起担ぎ | 見た目の華やかさ、家族の好み、多様性 |
| 背景・理由 | ・三が日は休むため ・冷蔵技術が未発達 | ・ライフスタイルの変化(共働きなど) ・核家族化、個食化 ・冷蔵、冷凍、流通技術の発達 |
おせち料理の豆知識!代表的な食材の意味と地域差
おせち料理の歴史がわかったところで、最後に、料理一つひとつに込められた「願い」や、ちょっと面白い「地域差」についてご紹介します。
これだけは知っておきたい!「祝い肴三種(いわいざかなさんしゅ)」
おせち料理の中で、特にお正月のお祝いに欠かせないとされる3つの料理を「祝い肴三種」と呼びます。これさえあれば、お正月が迎えられると言われるほど重要です。
実はこの三種、関東と関西で中身が違います。
関東の「三種」と関西の「三種」
- 関東風:「黒豆」「数の子」「田作り(ごまめ)」
- 黒豆: 「まめ(真面目)に働き、健康に暮らせるように」
- 数の子: 卵の数が多いことから「子孫繁栄(しそんはんえい)」
- 田作り: イワシを肥料にしたら豊作になったことから「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」
- 関西風:「黒豆」「数の子」「たたきごぼう」
- たたきごぼう: ごぼうは地中深くに根を張るため「家の土台がしっかりするように」。叩き開くことで「開運」を願う。
【一覧】おせちの定番!食材に込められた願い
ほかにも、おせち料理にはたくさんの願いが込められています。
| 食材 | 込められた願い・由来 |
| 伊達巻(だてまき) | 昔の巻物(本)に似ているから「知識が増えますように」 |
| 栗きんとん | 「金団」と書き、黄金色の見た目から「金運・勝負運アップ」 |
| 昆布巻(こぶまき) | 「よろこぶ(喜ぶ)」の語呂合わせ |
| 海老(えび) | 腰が曲がるまで「長生きできますように」 |
| 紅白かまぼこ | 赤は「魔除け」、白は「清浄(けがれのないこと)」を表す縁起物 |



食材のダジャレ(語呂合わせ)や、見た目から連想される願いが多いのが面白いですね。昔の人が、食べ物一つひとつに「良い年になりますように」と真剣に願っていた気持ちが伝わってきます。
【FAQ】おせちの歴史に関するよくある質問
最後に、おせちの歴史や変化について、よくある質問にお答えします。
Q. おせち料理はいつから「おせち」と呼ばれるようになったのですか?
A. もともとは「御節供(おせちく)」と呼ばれていました。「おせち」という呼び名が一般的に広まったのは、比較的最近で、第二次世界大戦後(昭和20年以降)からという説が有力です。デパートなどが「おせち料理」として商品化し、その呼び名が定着していったと考えられています。
Q. 昔は手作りが当たり前だったのですか?
A. はい、昭和の終わり頃(1980年代頃)までは、年末にお母さんやおばあちゃんが数日かけて手作りするのが一般的でした。おせち料理の「購入」が広まったのは、デパートの通販やコンビニの予約が本格化した平成以降のことです。
Q. おせち料理に「洋風」や「中華風」が増えたのはなぜですか?
A. いくつか理由があります。
- 好みの多様化: 伝統的な和食の味付け(甘い、しょっぱい)が苦手な子どもや若い世代が増え、家族みんなが楽しめるように洋風・中華風が取り入れられました。
- 冷蔵技術の進化: 昔は保存がきく濃い味付けが必須でしたが、冷蔵庫が普及し、クール便で配送できるようになったため、保存性よりも「美味しさ」や「華やかさ」を優先した料理を詰められるようになりました。
Q. おせち料理を食べない家も増えているのですか?
A. 確かに、ライフスタイルの変化により「おせちは食べない」「お正月は旅行に行く」というご家庭も増えています。しかしその一方で、おせち料理の意味や伝統を見直す動きもあります。最近では、好きなものだけを少しずつ詰めた「一人用おせち」や、豪華な「お取り寄せおせち」も人気で、おせち文化の「形」は変わりつつも、新年を祝う特別な料理として受け継がれています。
まとめ:おせちの歴史を知って、新しい年を迎えよう
今回は、おせち料理の長い歴史と、時代とともに変わってきた姿について解説しました。
- 始まりは弥生時代の「お供え物(節供)」
- 平安時代に貴族の「ごちそう(節会)」へ
- 江戸時代に庶民の「行事食(五節句)」へ
- 明治以降に「お正月だけの料理」として定着
- 現代は「買って楽しむ、多様な料理」へ
と、2000年以上もの時を経て、日本の暮らしや文化と一緒に変化してきたことがわかります。
おせち料理は、ただの「お正月の豪華なごはん」ではなく、昔の人々の「神様への感謝」や「家族の健康と幸せを願う心」が詰まった、日本の大切な食文化です。
次におせち料理を食べる機会があったら、「この黒豆にはこんな意味が…」「これは平安時代のごちそうがルーツかも」と、その歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
きっと、いつもより味わい深く、新しい年をスタートできるはずですよ。

